森田芳光監督 映画『(ハル)』
映画が時間を経て、少しづつ意味を変えていく、という感覚にしっくり来て、80年〜90年代の日本映画を見返している。
例えば、東京の景色。1996年に映っている当たり前だった景色が、もう二度と見れない風景だったり。映画のストーリーを追う以外に、そういった映画に残された過去の景色を味わうのも良い。
森田芳光監督の映画『(ハル)』を初めて見たのは10年くらい前だったんですが、ちょっと気になって、久しぶりに見たら、なんかこの映画の持つ意味が(もしかしたら当時より)いろんな事を提示しているようで、すごく面白く感じました。
『(ハル)』は1996年公開された映画で、撮影は95年くらいだったはずなのでwindows95が出る前の、パソコン黎明期における「パソコン通信」をベースにした恋愛ドラマ。
ちなみに私が初めてパソコンに触れたのが98年くらいなので、ダイヤルアップはギリギリ経験しているが、もう少し掲示板とか、eメールで50KBであるから程度の画像なら添付できる時代に突入してました。
「パソコン通信」というのがそれ以前にあたるので、かなり短い期間の限られた人たちだけが経験した、ものすごい特別感のあるツールだったのかなぁと想像する。
今みたいに常にオンラインの状態で情報が飛び交っているような感じではなく、パソコンそのものが、もっと特別な時間。
これを映画に残したことはとても意義のあることだと思います。
タイトルの(ハル)は内野聖陽のハンドルネームで深津絵里は(ほし)。※ハンドルネーム、って言葉自体ももはや死語...?
この映画は(ハル)と(ほし)のメール、チャットを使った交流で物語が進行し、大部分がその文字だけで進んでいきます。
当時としては超斬新な手法だったと思うんですが、文字を使ったコ
バブル崩壊後のうっすら漂う閉塞感を背景に、都会の人の孤独というか(※(ほし)は盛岡ですが)現在のバーチャルな心の交流の先駆けのような感じ。結構淡々とした作品でこのころの日本映画っぽい空気感ではありますが、昔は「暗い!」と思ったこの雰囲気も、今となっては随分心地よく感じるのは何故でしょう。
『(ハル)』のどこがよかったか。
やっぱりこの映画を好きならば誰もが認める例の新幹線の場面だと思います。
出張のため盛岡を新幹線で通過する(ハル)が、あらかじめ(ほし)と約束した地点でたがいに手をふりあうシーン。同時に8ミリビデオで互いを撮影する、というもの。
ドキドキするわぁ。
小っさ。
カメラの大きさがいい。スマホだと格好つかないですね。
今の時代であれば、そんな面倒なことしないで、画像交換でもしてとっとと会えばいいじゃないか、って思うかもしれません。
しかしこの煩わしさこそが、人と人とのコミュニケーションの複雑さや、彼女なりの誠実さ、とでもいいましょうか。(どうせ顔なんて見れないのに、普段よりもおしゃれして、気合い入れている感じも、なんかいいですよね)
まだパソコン上で画像の交換もできない時代。文字でしかお互いの存在を認識しあえなかった時代に、少しづつ互いをリアルな現実のものとして認識し、受け入れるために選んだ方法は、映画上の演出とはいえ、なんだかとてもピュア。
傷つけたり失いたくない、でも現実として自分のものにしたいという欲求。
想像することがとても大事であることをこの映画は語りかけます。
人によって量には差があるのだろうけど、自分はこのまま情報だけを受け入れていったら、ちょっとしんどくなるかもなぁという風に最近は感じています。
とか考えたり。ただ、そんなことを感じた直後、自分もスマホ開いてるんですけどね。
だから別にアンチテーゼを唱えたいわけでもない。
(基本的に、ネットの普及で救われた人の方が圧倒的に多いと思っているので、この選択は人類にとって正しかったと思っています。)
残念ながら消費税はイートインが10%でテイクアウトが8%になる。世の中がどうなろうが、自分が変えられる範囲は限られている。私はそれと戦おうとは思っていません。
要は、その時代をどう生き抜くか、ということ。
(ハル)も(ほし)も、あの時代を誠実に生きている。
それは一見「パソコン通信」というネットの黎明期のわずかな期間のコミュニケーション手法の時代に、新しい人との関係性を模索しているだけのようにも見えるが、彼らは何よりも、相手に対する想像力を大切にし、同時に自分自身に対しても誠実であろうとする。
それは好きだった人を亡くしてしまったつらい過去をもった(ほし)が、(ハル)との出会いから新しい自分を切り開いていこうとするが、色々な人との距離感にとまどい、悩み、そしてそれを乗り越えていく成長を描いているから。
自らの運命に苦しみながら、この時代を一生懸命生きる(ハル)と(ほし)の姿に、なんだかとても、うらやましく思ってしまいました。
(。。。それは別に、(もしもメル友の相手が深津絵里だったら)的な羨ましさではなく。)
不自由だからこそ、想像力で補う、っていうのは生き方の神髄ですね。