目盛りメモリーズ(旧One Click Say Yeah 2020)

音楽、映画、その他日常の生活からはみ出たもの、または日常そのもの

小森はるか『the place named』

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いきなり音楽から脱線しますが、まあ映画もレビューしたいなと思っていたものの、それも特殊な紹介の仕方をしなければなりません。
というのも、私がある作品に出演させていただいたわけです。
昨日から公開で21日までなのであと4日! です。

 

桃まつり 小森はるか『the place named』

 

森はるか監督とは、3年前に美学校の知り合いの紹介で出会い、卒業制作の作品に参加させてもらいました。
川崎の廃墟を借りての撮影は、連日埃と雨に打たれながらも本格的な「映画作り」に関わる興奮とともに、既に貴重な経験でした。
勿論演技なんて小学生の学芸会以来したことなかったので素人丸出しなのは当然ですが、何を勘違いしたかその時監督に「次も、出たいんで、よろしく!」なんて軽々しく言ったのが運命の分かれ道。3年後、本当に誘ってくれるとは思えませんでした。

 

2011年の10月。上野の某大学内で撮影。
映画の構造もあって、既に屋外撮影の半分が撮影済み。残りの半分が舞台稽古中のシーンでその中の役者の一人という設定。ソーントン・ワイルダーの『わが町』という舞台の稽古をしているという設定ではあるが、実際はその舞台に本番はない。言わば劇中劇みたいなもので、そのプロットは果敢な攻め方だなぁなんて思いました。

 

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実際その場で何が起きたかというのはあまり具体的には書きませんが、本番の無い舞台なのにかなり本格的な芝居作りをして、特に台詞の言い回しに長時間をつかいました。
その時の濃密すぎる時間と空間は、自分が今まで経験したことのなかったもので、撮影終了後も2,3日は現実に戻れないような、何ともいえない感覚でした。
おそらくそれは、あの密閉した空間で「言葉」だけに集中する、そしてそれを共有することで起きた一種の連帯感であり、正直に言えば撮影が終わって元の生活に戻るのが悲しいことのようにすら錯覚を起こしました。もしかしたら自分が一番のめり込んでいたのかも?なので、ある種の危険性すら感じたのを今でもよく憶えています。

 

果たして完成はどうなっているのか?

 

本来ならばここからたっぷりと映画のレビュー、といきたい所ですが、やはり参加している以上客観的な視点に欠けるのでここでは残さないことにします。
ただ、あの濃密すぎる「言葉」との対峙は、映像にしっかりと残っていることは確認できました。ちょっと普通の台詞の吐き出し方ではないです。

 

そして一人の単なる映画好きとして、一言だけ肩入れをさせてもらうとすれば、映画の始まり方と終わり方(エンドロールのタイミングと背景など全て)が完璧なのと、決定的なショットがいくつかあったので、もうそれだけで十分であると言えます。自分がこの作品に出演できたことを誇りに思えるような映画でした。
場合によっては難解とか説明不足、ととらわれる可能性も秘めていますが、この作品に限らず、表現にとって大事なのは意志をどれだけ貫けるかということであり、映画であることとはつまりその意志が映像に刻まれているかどうかだと思います。あと、もし仮にこの映画が難解だとすれば、世界中の全歴史の映画の半分くらいが難解だと思います。

 

 

小森監督は2011年の3月11日に起きた震災以降、映画製作と並行して東北に行って被災者支援をしながら撮影をしています。震災から1年経った今も継続されているそうです。むしろ4月に移住するそうです。大したもんだ。
それらの映像も近いうちに何かしらの形になるかもしれません。

 小森はるか、瀬尾なつみ東北移動報告