目盛りメモリーズ(旧One Click Say Yeah 2020)

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小沢健二 LIVE 魔法的 Gターr ベasス Dラms キーeyズ 2016月6月12日@Zepp DiverCity TOKYO

10年前なんかはライブ見に行ったら極力感想なんかをまめにブログにアップしてたりしましたが、2010年頃から急に失速。しかし今思えばやはりTwitterとかではなくちゃんとひふみよのツアー感想、残しておくべきだった。後で確認できる状態にしておくことは必要だなと。

 

なのでかなり荒いですが、感想を。

 

2016月6月12日、小沢健二のライブに行ってきました。

 

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『LIFE』発売の時は小学生で、1998年までの絶頂期は中学生でHEY×3やPOP JAMとかでガンガン見ており、カラオケで友達と「ラブリー」歌いまくってました、という世代です。なので所謂フリッパーズギター渋谷系で青春を過ごした世代とはまたちょっと感覚は違う。

その後しばらくたって、小沢健二が「本格的に音楽活動をしない」中、もしかしたらオザケンって凄かったんじゃないか、という再考に入ったのが、確か2008年頃だったかなと思う。

そして突如のコンサート、2010年のひふみよ@NHKホールにを見に行き、2012年の東京の奏でる音楽は見に行かなかったのですが、今回たまたまライブのチケットが手に入り、見に行くことになりました。

 

2016年にオザケンはどんな心境でライブやるのだろう、というのが今いち自分の中で整理がつかず、何もなければスルーしていたかもしれなかったですが、ライブ、行ってよかったです。

 

ライブ、様々なところで絶賛されておりますので、詳細はそこでぜひ見ていただければと。例えば↓

 

今回のツアーは、オザケンがいよいよ音楽を我々の目に見える形で、継続的に続けていくんだという決意表明のように感じられました。

というのも、2010年のひふみよのライブ時点では、2000年代の沈黙から突如コンサートツアー、という流れにまだ小沢健二が何を考えているのか正直よく分からない、という印象でした。

 

もしかしたら、今回のツアーも殆どが過去の曲のアレンジ、ひふみよ、東京の街のスタンディング・ロックバンドバージョン、みたいな体だったらいよいよ「オザケンって、もう何か別の事情でライブやってるのか」なんて思っていたかもしれません。

 

それが今回、彼が継続的に続けていくのではないかと思った要因としては、やはり新曲がどれも素晴らしかったことに尽きると思う。

曲調としては、LIFE期、球体期でもなく、むしろ1stの「dog期(犬は吠えるがキャラバンは進む)」に近いような気がしました。(今日のライブもdogsの1曲目「昨日と今日」から始まったのもなんとなくその印象を強めている。または今回のバックバンドが『LIFE』のホーン・アレンジよりも、『dogs』のバンド形態での録音に近いからか)


「魔法的」で披露された新曲が、意外なほどシンプルで、しかし映し出される歌詞は独創的かつ圧倒的で、「曲を作ってそれを披露する」というミュージシャンの原点回帰を果たしているということは、小沢健二やっぱ俺には音楽しかないねん2016、と改心したのかなという印象。


これはもはやボブディラン的になっていくんではないかと。
ボブ・ディランさんも、メディアには出ませんが今年75歳で来日公演来てますからね。
オザケンもこの周期に入ってくるんではないかと。
こういう立ち位置の人は、山下達郎大瀧詠一以降はいなかったな、とか。

 

ということで何度も言うがちゃんと新曲作ってきててそれがいい意味で「小沢健二らしさ」を踏襲していて、だったらもう朗読とかやめてポピュラーソング、作ってくれよ。そしてこういう感じで死ぬまでにあと3周くらいはこの周期を続けてくれよ、と思えることが最大の喜び。

 

あとは過去の曲が今の時代でもちゃんと機能しているという魔法について最後に。


今回もさよならなんて言えないよとかやはり涙腺緩んだのですが、やっぱりね、青春と過ごした音楽は時が経てばどうしても懐メロになってしまうんです。それを受け入れて数年に1度のライブをしてあの頃を思い出させる小沢健二とそれを受け入れるファン。という構図があっても、別にいいと思うんです。
それを否定するつもりはありませんが、万が一「小沢君が目の前で歌っている。それだけでいい」というのが繰り返されると、話は変わってくる。やっぱりちょっと気持ち悪くなってきたりもする。

 

で、オザケン、懐メロにならなかったというのが、やっぱこの人凄すぎるわと。あれだけ時代を背負って、場合によっては「期待されている音楽」を作っていた時期もあったかもしれない。しかしその音楽の中に、ちゃんと普遍的なものがあったんだと今になって分かる。これは映画と同じだと思います。

"寒い冬にダッフルコート着た君と原宿あたり風を切って歩いてく"(「ドアをノックするのは誰だ? 」)
っていう歌詞がちゃんと2016年に今の音楽として機能するって、何度もいうがやっぱ凄いと思います。

 

[追記]

今回の「魔法的」ツアーに合わせて、面白かった記事。


↓これは今回あまりなかったやや批判的な意見

BACK TO BOP THE BEAT: 2016年5月26日の小沢健二